23/09/30 ワンダー3
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23/09/02 世界でいちばん熱い夏(プリンセスプリンセス)
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23/08/14 「平和のうち(家)に生存する権利を有することを確認する」
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国土地理院のサイトでは過去の航空写真を見ることができます。写真は1936年~1942年ごろの写真ですが、興味深いことにいくつかの部分が黒塗りされています。誰が何のために、というのは今は置いておきます。写真は淀川をはさんで高槻、枚方あたりですが、高槻の工兵第4連隊、枚方の陸軍「枚方製造所」が黒塗りされていることがみてとれます。(ふしぎなことに隣接する弾薬庫は塗られていない)そして下のほうにひときわ大きな黒塗りがされていますが、これは「東京第二陸軍造兵廠香里製造所」(1942~)でやはり火薬、砲弾を作っていたとのことです。

「東京第二陸軍造兵廠香里製造所」(以下香里工廠)には専用の鉄道引き込み線が敷かれていました。写真右手は学研都市線星田駅近辺。高架でなかった線路から左へ分岐して香里工廠へ鉄路は伸びていました。

戦後鉄路は廃止され、この道は香里平和ロードと名付けられています。禁野火薬庫からの専用引き込み線が中宮平和ロードと名付けられているのと同じですね。

このような解説版もあります。枚方行政の平和への思いが感じられます。

香里工廠の遺構は年々少なくなっているそうですが、一部残されています。写真は「東京第二陸軍造兵廠香里製造所安瓦薬収函室」(現クリニック)で、安瓦薬とはやはり火薬の一種とのことです。

香里ケ丘団地の丘を登っていくと、枚方市妙見山配水池、その敷地にこの煙突があります。これも香里工廠の遺構で、「東京第二陸軍造兵廠香里製造所第3汽鑵場煙突」、火薬を乾かす施設の一部だったそうです。配水池の門に説明版があります。それにいたく感銘を受けていしまいました。長いですが一部引用します。
「敗戦により工場は閉鎖されたが、1952年(昭和27年)、朝鮮戦争の特需ブームにのって火薬製造会社が、旧香里製造所の払い下げを申請した。これに驚いた枚方市・寝屋川市の香里園地区住民はいち早く火薬製造反対の運動を展開した。枚方市長・市議会をはじめ町内会、PTA、婦人会などは再開反対を叫んで、国会・政府に陳情を重ねた。衆議院通産委員の現地視察には、反対の旗とプラカードが香里園地区を埋めつくした。そして、半年以上におよぶ粘り強い地元の反対運動が実り、翌年3月、政府は火薬製造所再開を断念した。」(大阪府・枚方市)とあります。
水道施設の銘板じゃないでしょ(笑)。平和運動の歴史をきちんと記録して刻んでおこうという強い意志を感じます。大阪府も枚方市も立派なものではありませんか。香里ケ丘の美しい町並みは平和運動の力が作ったのですね。街中にも歴史を伝える像と銘板がありました。それには禁野火薬庫の大事故が関係していることはあきらかです。(ちなみに禁野火薬庫隣接の「枚方製造所」も払い下げの話が出て、こちらにも反対運動があったが、工場は小松製作所に払い下げられた。小松製作所では火薬の製造はせず砲弾の弾体が作られた。)
(やっぱり長くなるので続きます)
23/07/23 湊町ブルース
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JRや南海の延伸話で盛り上がりつつあるミナミですが、JR難波駅はかつて湊町駅でした。地上駅だったころを覚えています。貨物と旅客をとりあつかう広い敷地でした。湊町というだけあって道頓堀川に面しており、鉄道輸送と舟運とが連動していたのでしょう。

これは1948年の空中写真ですが、中央に湊町駅、右下に高島屋と南海難波駅が見られます。(クリックで拡大します)おびただしい数の船が道頓堀川に集結していてびっくりです。舟運の役割はさぞや大きかったのでしょうね。

そのまま道頓堀川に沿って下ってみます。南海汐見橋駅は知る人ぞ知る都会の秘境駅ですが、南海側もそれをよくわかっていてレトロ駅風に改修していますね。広くてすばらしい空間なのですが、欲を言えばベンチがほしい。

幕末の1854年6月、数回にわたって大地震がおこり、津波が大阪市船場あたりまで到達し激甚被害となったとのことです。とくにたくさんの船が運河を逆流し被害が拡大したそうです。液状化現象も報告されており、「記録」というものの重要さも再確認しなければなりません。

大阪ドームのある大正橋までやってきました。木津川は上に高速道路がなくて開けた感じがいいです。兵庫運河にもにているように思います。イオンモールもありますし(笑)。

せっかくなので、こちらも最近開発著しい大阪駅近辺にやってきました。大阪駅ができたころはまさに街はずれで、じゃあ貨物の輸送などどうしたのかというと、大阪駅にも港があったんですね。堂島川から運河を開削して駅に横付け。これも1948年の航空写真ですが「うめきた」に船が写っています(クリックで拡大します)。

堂島川から大阪駅への運河は「梅田入堀川」と呼ばれ、「出入り橋」がかかっていました。今も出入り橋の欄干が残っています。梅田入堀川は埋められて、舟運が担っていた輸送については上にかけられた高速道路がその役目を務めています。
考えてみれば大阪市内の高速道路は運河の上、あるいは元運河の上を通っているケースが多いのではないでしょうか。横堀川、西横堀川、堂島川、天神さんから扇町公園へ抜ける高速もそうです。先人の築いた道を我々もまた連綿と利用しているということになりますか。高速道路がのしかかってくるような景観はあまりよろしくはないのですが。
23/06/24 Crossroads
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23/05/10 道の奥津ひとりたび
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23/04/24 緑そびえ立つ
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23/04/10 きのめどきのときめき
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23/04/06 別れの朝
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23/04/02 志を果たしていつの日か帰らむ
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