08/10/28 日露戦争
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wooは宇宙船のwoo
ずいぶんと久しぶりの更新となってしまいました。休日の天候不良やらでネタもなく、とどめはOSの上書きインストールでした。改良に改良を重ねようとして結局御破算。オロローン。自己責任ですねー。メールアドレスもお気に入りもyoutubeのパスワードも消えた。いくつかのアプリは動かなくなり再インストール。もう3回目かなあ・・・。マイドキュは別のパーテーションに保存しておいたので無事。せめてもの救いでした。
こんなことを何回も経験すると、あんまり多くを持たないほうが身も心も軽くていいのではないかなーとか考えますね。欲を捨てこだわりを捨てファイルを捨て、要る物を少しずつ少なくしていって・・・。PCの道は仏に通じていますね、絶対。
ということで、復旧待ちの間、以前ご紹介した司馬遼太郎の「坂の上の雲」読了しました。面白かったー。
以前も驚きのエピソードをご紹介したのですが追加で。文庫本7巻p100~。
「この当時の日本政府は日本が未開国ではないことを世界に知ってもらいたいという外交上の理由もあって、戦時捕虜のとりあつかいについては国際法の優等生であった。ロシア捕虜をとびきり優しくとりあつかったというよりむしろ優遇した。
その収容所は各地にあったが、松山がもっとも有名であり、戦線にいるロシア兵にもよく知られていて、かれらは投降するということばをマツヤマというまでになり、
『マツヤマ、マツヤマ』
と連呼して日本陣地へ走ってきたりした。」
長い引用になりましたが、司馬遼太郎さんおよび関係者の方へは無断転載なのですが、見逃してください、お願いです。

愛媛県松山市に「坂の上の雲ミュージアム」があって、そのサイトにこんなページがありましたよ。写真のキャプション通りだとすると、なんと牧歌的な。
マツヤマだからどうということではなく、戦場でも後方でも、やっぱり今の戦争の酷薄さとは違う。米軍がイラクで捕虜を虐待したとか報復の連鎖とかと違う倫理があったんでしょうね。しかもそれが有効だった。徳島県のドイツ軍捕虜の映画(「バルトの楽園」)もありましたね。(未見)
だから当時はよかったな、ではなく「坂の上の雲」では、十万単位の兵士と最新兵器が真正面からぶつかり合い、一撃で100人単位が死傷する、胴から下を吹き飛ばされてしまう、四肢が飛散してして地面に突き刺さっている、大砲の弾が体に当たって肉片だけが残されたとかの話もいっぱいです。陸戦も海戦も同様です。
勝つって何?勝つことは喜ばしいこと?という読後感を持たせます。帝政ロシアにあっては対日で勝ったとしてもそれは皇帝&官僚にとってであって「国民」が勝つことと同義ではなさそうです。では当時の日本は?今の日本なら?「国民」って?司馬氏は戦に勝つことより負ける方が学ぶべきことは多いとも書かれていました。勝ったからその後の道を誤ってしまうことがあるとも言われています。さもありなんと思われることは今もありますね。
松山出身の連合艦隊No.3秋山真之は日本海海戦以後、出家するつもりだったらしいです。華々しい戦歴なのにね。彼は49歳で病没したそうです。真之氏の息子は僧になったらしいです。
司馬遼太郎の小説って読後感はあまり重くなかったのですが、これは重かったですねー。
こんなことを何回も経験すると、あんまり多くを持たないほうが身も心も軽くていいのではないかなーとか考えますね。欲を捨てこだわりを捨てファイルを捨て、要る物を少しずつ少なくしていって・・・。PCの道は仏に通じていますね、絶対。
ということで、復旧待ちの間、以前ご紹介した司馬遼太郎の「坂の上の雲」読了しました。面白かったー。
以前も驚きのエピソードをご紹介したのですが追加で。文庫本7巻p100~。
「この当時の日本政府は日本が未開国ではないことを世界に知ってもらいたいという外交上の理由もあって、戦時捕虜のとりあつかいについては国際法の優等生であった。ロシア捕虜をとびきり優しくとりあつかったというよりむしろ優遇した。
その収容所は各地にあったが、松山がもっとも有名であり、戦線にいるロシア兵にもよく知られていて、かれらは投降するということばをマツヤマというまでになり、
『マツヤマ、マツヤマ』
と連呼して日本陣地へ走ってきたりした。」
長い引用になりましたが、司馬遼太郎さんおよび関係者の方へは無断転載なのですが、見逃してください、お願いです。

愛媛県松山市に「坂の上の雲ミュージアム」があって、そのサイトにこんなページがありましたよ。写真のキャプション通りだとすると、なんと牧歌的な。
マツヤマだからどうということではなく、戦場でも後方でも、やっぱり今の戦争の酷薄さとは違う。米軍がイラクで捕虜を虐待したとか報復の連鎖とかと違う倫理があったんでしょうね。しかもそれが有効だった。徳島県のドイツ軍捕虜の映画(「バルトの楽園」)もありましたね。(未見)
だから当時はよかったな、ではなく「坂の上の雲」では、十万単位の兵士と最新兵器が真正面からぶつかり合い、一撃で100人単位が死傷する、胴から下を吹き飛ばされてしまう、四肢が飛散してして地面に突き刺さっている、大砲の弾が体に当たって肉片だけが残されたとかの話もいっぱいです。陸戦も海戦も同様です。
勝つって何?勝つことは喜ばしいこと?という読後感を持たせます。帝政ロシアにあっては対日で勝ったとしてもそれは皇帝&官僚にとってであって「国民」が勝つことと同義ではなさそうです。では当時の日本は?今の日本なら?「国民」って?司馬氏は戦に勝つことより負ける方が学ぶべきことは多いとも書かれていました。勝ったからその後の道を誤ってしまうことがあるとも言われています。さもありなんと思われることは今もありますね。
松山出身の連合艦隊No.3秋山真之は日本海海戦以後、出家するつもりだったらしいです。華々しい戦歴なのにね。彼は49歳で病没したそうです。真之氏の息子は僧になったらしいです。
司馬遼太郎の小説って読後感はあまり重くなかったのですが、これは重かったですねー。