23/07/23 湊町ブルース
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wooは宇宙船のwoo

JRや南海の延伸話で盛り上がりつつあるミナミですが、JR難波駅はかつて湊町駅でした。地上駅だったころを覚えています。貨物と旅客をとりあつかう広い敷地でした。湊町というだけあって道頓堀川に面しており、鉄道輸送と舟運とが連動していたのでしょう。

これは1948年の空中写真ですが、中央に湊町駅、右下に高島屋と南海難波駅が見られます。(クリックで拡大します)おびただしい数の船が道頓堀川に集結していてびっくりです。舟運の役割はさぞや大きかったのでしょうね。

そのまま道頓堀川に沿って下ってみます。南海汐見橋駅は知る人ぞ知る都会の秘境駅ですが、南海側もそれをよくわかっていてレトロ駅風に改修していますね。広くてすばらしい空間なのですが、欲を言えばベンチがほしい。

幕末の1854年6月、数回にわたって大地震がおこり、津波が大阪市船場あたりまで到達し激甚被害となったとのことです。とくにたくさんの船が運河を逆流し被害が拡大したそうです。液状化現象も報告されており、「記録」というものの重要さも再確認しなければなりません。

大阪ドームのある大正橋までやってきました。木津川は上に高速道路がなくて開けた感じがいいです。兵庫運河にもにているように思います。イオンモールもありますし(笑)。

せっかくなので、こちらも最近開発著しい大阪駅近辺にやってきました。大阪駅ができたころはまさに街はずれで、じゃあ貨物の輸送などどうしたのかというと、大阪駅にも港があったんですね。堂島川から運河を開削して駅に横付け。これも1948年の航空写真ですが「うめきた」に船が写っています(クリックで拡大します)。

堂島川から大阪駅への運河は「梅田入堀川」と呼ばれ、「出入り橋」がかかっていました。今も出入り橋の欄干が残っています。梅田入堀川は埋められて、舟運が担っていた輸送については上にかけられた高速道路がその役目を務めています。
考えてみれば大阪市内の高速道路は運河の上、あるいは元運河の上を通っているケースが多いのではないでしょうか。横堀川、西横堀川、堂島川、天神さんから扇町公園へ抜ける高速もそうです。先人の築いた道を我々もまた連綿と利用しているということになりますか。高速道路がのしかかってくるような景観はあまりよろしくはないのですが。