2008/04/07 背割堤今昔

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wooは宇宙船のwoo
 くどいようですが背割堤の話の続きです。
 写真は4/5の背割堤から見た天王山。中央の赤い屋根は大山崎山荘美術館。ふもとに阪急大山崎駅とのぞみ○○系が実は写っています。手前の川は宇治川、向こう岸の向こうには桂川が流れています。
 三川合流地点は向かってもっと左側になります。天王山中腹から三川合流の雄大な風景を見ることができます。
 この雄大なる造形は人間の手によるものというから驚きです。

      

 先に紹介した大山崎町歴史資料館発行「はるかなる淀川 三川合流の歴史」の写真をまた転載させていただきます。

      背割堤工事中02

 写真は「昭和3年(1928)の淀川改良増補工事」とあります。向こう側の山は天王山、中腹の白いのは「工事途上の大山崎山荘」左側に「宝寺の三重塔」とあります。トラックや重機はなく、土砂運搬用のかわいい機関車が走っています(おお機関車トーマスもかくや)。こうやって堤を伸ばして合流地点を西へ下流へと変えていったそうです。
 もう一枚

      背割堤工事中03

 これも工事の様子を今度は上流から下流をながめるように写されたもの。これも昭和3年。地名を書き入れてくれているのでよくわかります。工事用の機関車用線路の枕木がかなりでこぼこなのもおもしろいなあ。
 別の資料によると、背割堤は昭和50年代初めまでは松並木で、大山崎山荘からみると天橋立のようであったと。害虫で枯れる松が多くなったので、昭和53年にソメイヨシノが植えられたとのことです。

 明治以降、このような工事があちこちで行われたのでしょう。背景には洪水対策や農業工業用水の確保など、当時のさしせまった理由があったことは間違いないでしょう。自然を作り変える工事や公共事業について思っていることはあるのですがいずれまた。

(追記)
 2枚目の写真で「宇治川桂川背割堤」とあるところは今の背割堤とは違いますね。今の背割堤は木津川と宇治川の間に作られたものですから、この写真でいうと「木津川宇治川新隅流堤端」になります。
 背割堤って、固有名詞ではなくて川の合流するところに作られた堤のことをいうみたいです。木曽川にも背割堤があります。
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