17/12/17 Silent night 堀 night

ハイ、これはみなさんご存知の上町台地ですね(?)。アプリ「スーパー地形」で俯瞰しています。北端に大阪城、南側に大和川が流れています。大和川は江戸時代に現在のように付け替えられたのですが、旧の流路も地形に残っていますね。東大阪市、平野区生野区東成区と低いほうへ流れ、旧淀川に合流。往時、大水で苦労されたことは想像に難くありません。上町台地が防波堤のように立ちふさがっているので大和川の大水が大阪湾に流れていかない。悪水として台地の東側に溜まるのですね。

さて、時は8世紀延暦年間、立ち上がったは和気清麿その男。上町台地をこの手で開削して進ぜよう、と一大事業に取り掛かったのであった。環状線寺田町駅あたりから茶臼山方面にかけて谷筋が見えますでしょうか。8世紀の工事の痕跡なのですね。南側の直線の谷は環状線の線路ですね。

谷の際に河堀稲生(こぼれいなり)神社。社の謂れによると「(中略)延暦7年3月、摂津太夫和気朝臣清麿が河内摂津両国の界に(ママ)河を掘り堤を築き、荒陵の南より河内川を導き西の海に通ぜんとして、当社に祈願した。(後略)」とあります。

谷筋をしばらく行くと清水井戸地蔵尊。この井戸からは今もこんこんと水が湧き出ています。台地の下には水脈があるのですね。「激戦の谷筋」と幟にあるように大坂夏の陣天王寺口の戦いの場所でもあったのですね。

清麿、掘りましたね。5メートルくらいの高低差があるでしょうか。谷の南面になります。

谷町筋に出ました。東西方向の横断歩道が少し沈んでいます。清麿、掘ったんですね。

横断歩道を渡ると堀越神社の南を抜けて茶臼山南の河底池。池ではなくて水路になるはずだった。

河底池に架かるは「和気橋」。和気清麿の名前がここに残っています。

上町台地西側段差には大坂市立美術館。この段差は開削できなかったのですね。「河内川」が開削されていたら、通天閣の南を大和川級の川が流れていたのかもしれません。結局、人出を大動員したものの費用の問題で工事は頓挫したそうです。この3年前には淀川と安威川を直結させる工事を成功させていますが、さぞ悔しかったことでしょう。大和川の付け替えは1704年なのでこの後約900年を待たなければなりません。その後も治水の苦労は続くのですが。
先人の苦労が偲ばれるウォーキングとなりました。またいずこへぞ参りましょうや。