18/12/24 チャコの海岸物語
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wooは宇宙船のwoo

冬のさなかに何を言っているんだという(笑)。
千里丘陵の南側の美しい曲線は縄文時代の海進によるものだそうです。だいたい6000年くらい前のことらしく、気温は現在よりも1~2℃高く上昇した海面が隆起した土地を削ったそうです。今日は海岸線をイメージしながら歩いてみることにします。

吹田と言えばアサヒビールですが、千里丘陵の豊富な湧水を利用してというのはよく知られています。サントリーは大山崎の水ですが、今もなのでしょうか。

いよいよ海岸線(?)に沿って移動しますが、さっそく阪急千里線豊津駅と交差します。電車がこの坂を上ってくるんですね。これはなかなかたいへんなのではないでしょうか。しかし豊かな津(船着き場)とは魅力的な名前です。かつてはどんな風景だったのでしょう。海原が広がっていたのでしょうか。

阪急千里線は糸田川の谷に沿ってレールが敷かれましたが、水害も多かったようです。石に刻んで後世に伝えないといけませんね。

垂水神社の森は千里丘陵の湧水を絶やさずに守っておられます。ちなみに万葉集の
「いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいずる春に なりにけるかも」
の歌はこの垂水神社の滝の説と神戸市垂水区の説がありますが、ここは当然吹田の垂水に決まっているのです。いやそうなのです。

垂水神社を過ぎると町名も江坂となります。江坂神社もなるほど坂か。江も海と陸地のはざまの意味ですね。興味深いです。

名神高速を超え御堂筋線も超えると高川。高いところを流れて(流して)いるから高川(?)。独特の景観です。

高川が頭の上を流れています。まさに天井川。バイパス道路ではありませぬ。

豊中市に入るとため池と田んぼが急に増えますね。旧家のような邸宅もけっこう残っています。

海岸べり(?)に(若宮)住吉神社なる神社もあります。住吉さんといえば海の神様でしたかね。縄文海進から海岸線が後退していつごろから人が住んだり働いたりするようになったのでしょうか。水辺だったまさに名残が地名などにあるということなのでしょうか。菅原道真のころは阪急淡路駅あたりが島(中州)だったらしいので水にうかぶ村々のイメージなのでしょうか。

海岸べりと言いましょうか海進べりといいましょうか。道路沿いに斜面が続いている景観が続きます。

阪急宝塚線曽根駅に着きました。これは曽根駅西側の「そね坂ストリート」ですが深い谷ですね。いい感じの商店街です。梅田の曽根崎は崎なので海に突き出すようなかたちだったのでしょうか。興味は尽きません。
長くなりましたが楽しく歩くことができました。冬は徒歩がよいですね。風がない日に限りますが(笑)。