19/08/14 そして神戸
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wooは宇宙船のwoo
今年の敗戦の日は台風のようですので早めに出かけておくことにしました。

8・15の敗戦の日と言えばもう言わずもがなの「火垂るの墓」ですが、最近新聞記事で見たこともあって巡礼に行ってきました。西宮市のニテコ池は清太と節子がおばさんの家を出て暮らしていた防空壕のあった池です。向こうに甲山が見えますね。

ニテコ池は夙川のそばにありますが、そのまま夙川を下っていくと御前浜に出ます。御前浜は埋められてないかつてからの浜を残しています。(なお、写真は訪れた時系列で並べてあって、映画の時系列とは一致しません)

河口から西方向。右上に、映画でも登場した西宮回生病院があります。建物は変わってしまっていますが、大きなヤシの木は往時からのものなのでしょうか。清太と節子の海水浴(あせもの治療?)のシーンがありました。

西に移動して神戸市東灘区御影。清太、節子はお母さんと暮らしていましたが空襲でお母さんが重傷を負い亡くなってしまいます。お母さんが運び込まれたのが御影小学校らしいですが、これには異説もあるようです。

御影周辺は焼け野原となります。御影公会堂は中は全焼したものの建物は残って再建されました。映画でも公会堂だけが遠くに焼け残っているシーンがあります。

阪神淡路大震災にも耐えました。美しい建物です。

公会堂は石屋川沿いにありますが、川を挟んではす向かいに「火垂るの墓」の石碑。

さらに西。節子が亡くなってしまったあと、清太も三ノ宮駅の丸い柱にもたれかかって亡くなってしまいます。「浮浪児」と呼ばれる戦災孤児が街にあふれたくさん亡くなりました。児童福祉法の成立は昭和22年。清太は救われませんでした。「この世界の片隅に」のラストでは、すずさんが戦災孤児を自宅に引き取るシーンがありましたね。
「火垂るの墓」にはとても引っかかるシーンがいくつかあります。
清太は銀行預金があるのになぜもっと早く引き出さないのか。なぜ節子が亡くなった後、自身が幽霊となった後も無表情で何をしているのか。現代のビル街と二人の霊が交差するラストシーンの意味は?
これがこの作品を単に「子供が犠牲になった戦争の悲惨さ」「厳しい状況をけなげに生きた兄妹」とは言わせないポイントかと思います。清太は判断ミスをするわけですが、すべては妹のためではなかったのではないか、もしかしたら妹より自分が大事でそうしたのではないか。しかしその結果、妹を喪失してしまい、取り返しのつかないことをしでかしたことに戦慄し、深い絶望の果てに心を失い表情を失う。自らの命も失いその魂は成仏することなく今も煉獄をさまよっている・・・。こう考える方がつじつまが合って、全く救いがなく恐ろしい。
条件がそろえば人間はたやすく人間性を捨ててしまう。あなたもそうやで、と問われているのです。高畑勲さんも野坂昭如さんも亡くなってしまいました。戦時下を生き延びたとはいえ癒されない傷を負い、魂はずっと煉獄にあったのかもしれない。彼らの絶望の深さに、やすやすと同情したり責めたりするのは慎みたいと思いました。

8・15の敗戦の日と言えばもう言わずもがなの「火垂るの墓」ですが、最近新聞記事で見たこともあって巡礼に行ってきました。西宮市のニテコ池は清太と節子がおばさんの家を出て暮らしていた防空壕のあった池です。向こうに甲山が見えますね。

ニテコ池は夙川のそばにありますが、そのまま夙川を下っていくと御前浜に出ます。御前浜は埋められてないかつてからの浜を残しています。(なお、写真は訪れた時系列で並べてあって、映画の時系列とは一致しません)

河口から西方向。右上に、映画でも登場した西宮回生病院があります。建物は変わってしまっていますが、大きなヤシの木は往時からのものなのでしょうか。清太と節子の海水浴(あせもの治療?)のシーンがありました。

西に移動して神戸市東灘区御影。清太、節子はお母さんと暮らしていましたが空襲でお母さんが重傷を負い亡くなってしまいます。お母さんが運び込まれたのが御影小学校らしいですが、これには異説もあるようです。

御影周辺は焼け野原となります。御影公会堂は中は全焼したものの建物は残って再建されました。映画でも公会堂だけが遠くに焼け残っているシーンがあります。

阪神淡路大震災にも耐えました。美しい建物です。

公会堂は石屋川沿いにありますが、川を挟んではす向かいに「火垂るの墓」の石碑。

さらに西。節子が亡くなってしまったあと、清太も三ノ宮駅の丸い柱にもたれかかって亡くなってしまいます。「浮浪児」と呼ばれる戦災孤児が街にあふれたくさん亡くなりました。児童福祉法の成立は昭和22年。清太は救われませんでした。「この世界の片隅に」のラストでは、すずさんが戦災孤児を自宅に引き取るシーンがありましたね。
「火垂るの墓」にはとても引っかかるシーンがいくつかあります。
清太は銀行預金があるのになぜもっと早く引き出さないのか。なぜ節子が亡くなった後、自身が幽霊となった後も無表情で何をしているのか。現代のビル街と二人の霊が交差するラストシーンの意味は?
これがこの作品を単に「子供が犠牲になった戦争の悲惨さ」「厳しい状況をけなげに生きた兄妹」とは言わせないポイントかと思います。清太は判断ミスをするわけですが、すべては妹のためではなかったのではないか、もしかしたら妹より自分が大事でそうしたのではないか。しかしその結果、妹を喪失してしまい、取り返しのつかないことをしでかしたことに戦慄し、深い絶望の果てに心を失い表情を失う。自らの命も失いその魂は成仏することなく今も煉獄をさまよっている・・・。こう考える方がつじつまが合って、全く救いがなく恐ろしい。
条件がそろえば人間はたやすく人間性を捨ててしまう。あなたもそうやで、と問われているのです。高畑勲さんも野坂昭如さんも亡くなってしまいました。戦時下を生き延びたとはいえ癒されない傷を負い、魂はずっと煉獄にあったのかもしれない。彼らの絶望の深さに、やすやすと同情したり責めたりするのは慎みたいと思いました。